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LA・LA・LAND(ラ・ラ・ランド) − 2016

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子どもの受験が一段落したので、ようやく見て参りました『ラ・ラ・ランド』。
手放しで大絶賛されているものと思いきや、賛否両論ですね。
今回も、菊地某さんが
「『ラ・ラ・ランド』ごときで喜んでいるヤツは、恋愛飢餓かミュージカル映画について無知だ」
とおっしゃっておりました。
こうなったら、とことんデイミアン・チャゼルを敵に回したいのか。(笑)
かく言うわたくしも『セッション』につきましては、期待したほどではなかったということで感想を綴るのは差し控えました。(これからもう一度見直して書く予定はあります)
ただ、あの時は菊地さんの批評といいますか、こきおろし方がいただけないなというやるせなさは残りましたね。

キャスト
セバスチャン(セブ) - ライアン・ゴズリング
ミア - エマ・ストーン
キース - ジョン・レジェンド
セバスチャンの姉 - ローズマリー・デウィット
グレッグ - フィン・ウィットロック

スタッフ
監督:     デミアン・チャゼル
脚本:     デミアン・チャゼル
製作:     フレッド・バーガー
ジョーダン・ホロウィッツ
ゲイリー・ギルバート
マーク・プラット
音楽:     ジャスティン・ハーウィッツ
撮影:     リヌス・サンドグレン
編集:     トム・クロス
公開:     2016年8月31日(ヴェネツィア国際映画祭)
2016年12月9日(アメリカ合衆国)
2017年2月24日(日本)
原題:     La La Land



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ミュージカル映画が苦手なはずが...チャゼル監督に感謝♪

今回、劇場に入り身を硬くしてスクリーンを凝視していましたが、始まって15分ほどで自然と映画に身を委ねることができました。
エンドロールを眺めながら「いやぁ、映画って本当にいいもんですね〜」と感動しながら心底ホッとしました。
感想を述べる前に、デイミアン・チャゼル監督に思いっきりお礼を述べさせていただきたい。
ミュージカルが苦手な私に最後まで楽しませてくれてありがとうございました!
長らく生きてきて、実のところまともに見ることができたミュージカル作品は唯一『サウンド・オブ・ミュージック(1965)』だけでした。
その後、果敢にも『ウエスト・サイド物語(1961)』に挑むことになるのですが、期待に反して興ざめもいいところでした。
小学生にして「もう、死ぬまで二度とミュージカルは見ない!」と固く心に誓ったのでした。


以下 ラストのネタバレ含みます!
これから観賞される方はご注意願います!!


感想の前に。
自分は先に記しました通り「ミュージカル」には全く疎いもので、「アステアが云々」などいう類いのお話はできませんことをご承知置き願います。

耳に残るラ・ラ・ラな音楽。そしてラ・ラ・ラストへ

まずは、音楽がいい。
映画は終わっても耳に残る曲の数々。
特に「Another Day of Sun」ですね、いわずもがな。
歌手の歌声、ホーンセッションの音色が昔の映画を観ているような懐かしい気持ちにさせてくれます。
楽しいけれどノスタルジックな気分にもなる曲で、映画を見た後はシーンが頭に浮かんでウルウルきます。



「Someone in the Crowd」も然り。
「Someone in …」などは、本作を見ようと誘ったものの、興味なさげな息子までCMを見てリズムを口ずさむほど。

賛否両論ありのラストは、云われているほどどんでん返しとは感じませんでした。
おそらくその賛否は、ミュージカルは「最後にはハッピーでなければならない 」という通説に依るものなのでしょう。
しかしながら、セブとミアが再会したときのあのシーンはやっぱり「あの時、こうしていれば」という想いから出たのでしょうね...泣けましたね。
目と目で交わすアイコンタクトのシーンも賛否あるようです。
受け取り方も人それぞれ千差万別ですね。
まぁ、私は
「あの頃は、夢に向かって二人で頑張ってたよね?」(セブ)
「うん、お互い夢を叶えたね」(ミア)
なーんて心の声が聞こえました。



via GIPHY



賛否の否の理由は?

さて
YAHOO映画というサイトがありまして、人々の反応を見るのが私は結構楽しかったりするのです。
賛否の“否”の意見を拾って行くと
ダンスが下手
ピアノのシーンがダメ
ラストシーンに違和感

いろいろあるものですよねぇ、面白い!

件の菊地(成孔)先生も
プロットがダメ
「glee/グリー」の主題歌と酷似している

などなど今回も情け容赦ない難癖パンチを喰らわせております。
いかんせん、先生のご説明が毎回回りくどく「ワケわからん状態」につき、また時間があるときに最後まで読むことにしました。
菊地某氏の映画の見方は、おもに音楽やプロットが自分の流儀に反していると面白くなくなるのだと見受けられます。
映画を見る時、
批評家として作品に入り込まず俯瞰する人
自分の経験と重ね合わせてみる人
その違いが賛否の分かれ目ではないかと私は思えるのですがどうでしょうか。

余談になりますが、本作にはジャズが絡んでいまして、その質が『セッション』に引き続き問題になったりもしています。
ジャズマニアの方には申し訳ない、映画に本格的なモダンジャズを使うことは、いささか剣呑なのではないでしょうか。
ここでは、ミュージカル映画の中にモダンジャズを流すことを言っております。
1988年に公開された「バード(クリント・イーストウッド監督作品」という映画。
期待しながら歌舞伎町の劇場で見たのだが、居眠りが出てしまった経験をしております。
まぁ、その当時ジャズといえば歌が入っていなければダメだった私自身が修行不足で背伸びしてジャズ映画を見たことが原因ともいえます。
....が
『ラ・ラ・ランド』は、ジャズミュージシャンは登場しても、ミュージカル映画であることをお忘れなきよう!
映画は耳が肥えている人だけが見るものでなく、大衆のものですから!!

しかし、ライアン・ゴスリングって実際はモテ男なのに映画の中ではオンナに捨てられちゃう役ばかりだよねぇ。
『きみに読む物語』『ブルーバレンタイン』そして本作と、ね。

参考リンク
菊地成孔の『ラ・ラ・ランド』評:世界中を敵に回す覚悟で平然と言うが、こんなもん全然大したことないね




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お嬢さん / 아가씨 (アガシ)− 2016

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『お嬢さん』は、パク・チャヌクの14作目(オムニバス、短編も含め)にして、『イノセント・ガーデン Stoker (2013)』から3年ぶりの作品になります。
昨年末からネットの記事を拾っては耳を研ぎすまし、待ちに待っていましたが例によって数少ない劇場でしか公開されず。
またもや、DVD(北米版)を取り寄せるという強行(!)手段に踏み切ったわけであります。
韓国語と日本語が半々(韓国語が若干多いかも)で、韓国語の部分は英語字幕で観賞しました。

ストーリー
日本統治下の朝鮮半島。
ある男がときの政府に取り入り金儲け、それに飽き足らず日本人として生まれ変わること(帰化)を強く望んでいた。
そのため日本の華族の令嬢と結婚し、それを機に日本姓「上月」を名乗っていた。
やがて上月(チョ・ジヌン)の妻は亡くなり、その姪である秀子(キム・ミニ)が遺産を相続することになっていた。
遺産を横取りしようと現れたのが、“藤原伯爵”を名乗る朝鮮人のペテン師(ハ・ジョンウ)だった。
その計画は、伯爵が秀子に絵画を教える名目で上月の屋敷に潜り込む−−−
ペテン師が出入りする詐欺集団の巣窟に生まれ育った女の子 スッキ(キム・テリ)を秀子付きの女中として雇わせておいた。
スッキは珠子という日本名をもらい秀子お嬢さまの身の回りの世話をしながら、藤原伯爵に心がなびくように仕向けていくのだった。
藤原伯爵の計画は、上月の留守中にうまく秀子を連れ出して駆け落ち、結婚した後精神病院に閉じ込め置き去りにして逃げるというものだった。
企みが成功したあかつきには、藤原が儲けた分け前とお嬢さんの金品を持って鄙びた故郷から逃げ出そうとするスッキだったが...

キャスト
    キム・ミニ:秀子お嬢様
    キム・テリ:スッキ、珠子
    ハ・ジョンウ:藤原伯爵(詐欺師)
    チョ・ジヌン:上月
    キム・ヘスク:佐々木夫人
    ムン・ソリ:秀子の叔母

スタッフ
監督:     パク・チャヌク
脚本:
パク・チャヌク、チャン・ソギョン
原作:     サラ・ウォーターズ『荊の城』
製作:     パク・チャヌク、シド・リム
製作総指揮:     マイキー・リー
音楽:     チョ・ヨンウク
撮影:     チョン・チョンフン
編集:     キム・ジェボ、キム・サンボム
製作会社:     モホ映画、ヨン映画
配給:     CJ E&M フィルム・ディビジョン
公開:     2016年5月14日(カンヌ)
2016年6月1日(韓国)
上映時間     145分
製作国:     韓国
言語:     朝鮮語、日本語
原題:    아가씨 (アガシ)
英題 :   The Handmaiden



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二転三転。過呼吸覚悟の3部構成

145分。
長いと感じるか、あっという間か。
その見方で変わってくると思います。
本作は3部構成で
第1部は、お嬢さん付きのメイドになるスッキの素性から藤原の計画に乗っかり上月家に入りこんだ後の予想だにしないストーリーがスッキの語りで展開されていきます。
2部に入るとお嬢さんの生い立ちから現在までがお嬢さん(秀子)の視点から語られていきます。
「朝鮮は醜いが、日本は美しい」
偏狭な思考と変態資質の持ち主、上月。
日本の上辺だけを愛でる贅を尽くした悪趣味の数々。
その犠牲となってきたのが、秀子と彼女の叔母でした。
極めつけにおもしろいのが、第1部と第2部はスッキから秀子の視点に変わる、同時に騙す側と騙される側の立ち位置のずれが浮き彫りになってきます。
とにかく巧み、描き方が痛快すぎて笑ってしまう!
しかしながら、秀子の異常で悲惨な生い立ちをめぐる哀しみもあるので複雑なのです。
第3部は、一気にラストへ。
残酷でえげつなく、そしてスカッとする最後です。

エンドロールでようやくまともに息ができたという気がしました(笑)

韓国俳優陣による日本語の魅力

監督のインタビュー記事(だったか?!)で、俳優達には半年ほど日本語を練習してもらったと語られていた気がします。
その日本語が、耳馴染みが悪いとか聞き取りにくいと感じるかもしれません。
自分の場合、ある意味愉しめたといってもいい程でした。
風情があるというか使われている日本語が古典的な言い回しが多くみられる、“ギャップの妙”(!)といえるのかもしれませんね。
伯爵の下手な演技を際立たせるために、大仰な日本語のセリフにしたとも考えられます。
兎も角、ユーモアのエッセンスを加えたかったのだと私は受け取っていますが。

パク・チャヌク監督は、こんなことも言っています。

「どんな言葉を話すか」というより
「どのように話すか」が重要な問題だ。
話す「スタイル」でもって。


セリフは「ダイアローグ」ではなく「サウンド」の一種だとも言及しています。
『パク・チャヌクのモンタージュ』より(キネマ旬報社)



劇中登場する蠱惑(こわく)的すぎるセリフを紹介

お嬢さんのエロい体の部分を目のまえにしながらのスッキのせりふ

ひ、ひ…秀でたお美しさでごじゃいます!

第1部のラスト、秀子お嬢さまが精神病院に入れられるはずだったがスッキが?!
   ...その時のお嬢さまのセリフ。

おらの哀れなお嬢さまが狂ってしまっただ。

上月家でディナー。美しいドレスで現れたお嬢さんを前にしての藤原伯爵

蠱惑的に...ひ、ひ...秀でたお美しさでごじゃいます!

◆ 幼い頃から春画を教科所に、美しい日本語の発音を叔母に習う秀子

「目、鼻、口…乳首、へそ、○×▲、※◇●」(口に出せない日本語)

カット、ショットから何となしに
ヒッチコックの「レベッカ(1940)」(佐々木夫人のショットは、まさにレベッカのダンヴァース夫人でした。キャラの得体の知れないところも...)
ジェームズ・アイヴォリーの「ハワーズ・エンド(1992)」(これまた大好きな作品💜)
「O嬢の物語・第二章(1984)」
の香りがしました。
スクリーンからチャヌクイズム(Chan-wook・ism)が溢れる作品でした。
敢てジャンルを作るなら、
ジャパネスク・ゴシック・エロ・ノワール
とでも名付けましょうか!
相変わらず天晴な出来でした!!

64(ロクヨン)− 2016 / 昭和に取り残された人々の顛末

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昨日、WOWOWで前後編が一挙放映されていたので、かなり期待しながら見ました。

キャスト・スタッフ

佐藤浩市 - 三上義信
綾野剛 - 諏訪
榮倉奈々 - 美雲
夏川結衣 - 三上美那子
瑛太 - 秋川
窪田正孝 - 日吉浩一郎

原作 - 横山秀夫『64(ロクヨン)』
監督 - 瀬々敬久
脚本 - 久松真一、瀬々敬久


因習化した権力の構図は常に腐蝕しきっていて、それが日本の社会をダメにするものだとあらためて納得。
自然に今現状おきている時事ニュースに置き換えてしまいます。
ここでいう権力とは日本の警察機構で、対立するのが記者クラブ。
警察と記者クラブの間で揉まれまくるのが、三上(佐藤浩市)率いる広報室。
たった7日間でおわった昭和64年に起きた少女誘拐殺人事件を発端に、被害者と事件に関わった人々の人生が大きく変わってしまう群像劇です。
一方、権力は人の生死や顛落などおかまいなしに悪しき因習に乗っかって回り続ける、その非情さに腹立たしさをおぼえます。

前編は発端となる女児誘拐殺人事件が起き被害者が無惨にも遺体で発見されるも、その後捜査は進まず。展開は見られません。
描かれるのは14年の残酷な時の流れ。とにかく暗く重々しく胃もたれが...。
見る側としては「犯人探し」と新たな進展を期待するところですが、そこからは大きく外れて三上と被害者の女児の父親 雨宮(永瀬正敏)にスポットがあてられます。
それとは別の事件...主婦が起こした交通事故をめぐって三上が所属する広報室と記者クラブの対立していくさまも戦々恐々で見ているのがつらい。
まるでその場にいるように、耳がキンキンしてきます。
やがて、ロクヨンに似通った誘拐事件が起きる...ようやく前編のラスト。

後編は、新たな誘拐事件を追いながらロクヨンの謎も解けて行きます。
誘拐事件の父親同士の私怨の絡み合い、新たな事件はロクヨンと同じように展開していきます。
警察が解決を遂げられなかった風化しつつある事件を、14年もかけて信じられない方法で犯人を見つけ出す雨宮の姿、その執念にグッとくるものがあります。
自分の中の64(ロクヨン)を思い出すシーンもあったり、あのときの異常な雰囲気・空気と報道の在り方を考えてしまう内容でありました。
ロクヨンに取り残されてしまった雨宮、三上そして幸田(吉岡秀隆)らがゆっくりと前進しはじめる。
ようやく雪解けから春へ...というラストは救いがありました。


ここでそれぞれの64(ロクヨン)=1989年を振り返ってみましょう

ちょっと面白いかなぁと出演者のそれぞれのロクヨン(=1989年)を紹介してみます。

◆ 佐藤浩市(29歳)

映画「社葬」出演(1989年 監督 東映)


◆ 吉岡秀隆(19歳)、緒形直人(22歳)

フジテレビ ドラマ「北の国から ‘89帰郷 」出演
  
◆ 三浦友和(37歳)

映画「悲しきヒットマン」出演(1989年 一倉治雄 監督 東映)

◆ 永瀬正敏(23歳)

映画「ミステリー・トレイン Mystery Train (1989年 ジム・ジャームッシュ 監督)

ちなみに、筆者のロクヨン直後...
1989年1月末にインフルエンザで42度の高熱にうなされ、プリンスのLovesexyツアー仙台公演を泣く泣くキャンセル。
熱も7度台に下がり、2/4、2/5 東京ドーム 2日間は無事行くことが出来ました。

余談になりますが、佐藤浩市さんと奥田瑛二さんのメイクが黒過ぎるのが気になりました。(顔と首の皮膚の色の差が...)
それと...綾野剛と瑛太の演技が素晴らしかったですわ!


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マンチェスター・バイ・ザ・シー − 2016 / 淡々とした映像からにじみ出るそれぞれの機微

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5月に控えた「マンチェスター・バイ・ザ・シー」は、近隣の劇場での上映はいつになるかわからないと判断して、北米版のDVDで一足先に見ることにしました。

ストーリー
ボストンで配管工やゴミ収集などの何でも屋をしながら暮らすリー・チャンドラー(ケイシー・アフレック)。
黙々と仕事をこなす毎日、彼は他人(ひと)とのコミュニケーションに問題があった。
ある日、彼の故郷の友だちジョージ(C.J. ウィルソン)からリーの兄ジョー(カイル・チャンドラー)が倒れたとの電話を受ける。
彼がマンチェスター・バイ・ザ・シーに到着した時はすでに亡くなっていた。
久しぶりにジョーの息子パトリック(ルーカス・ヘッジズ)に再会するリー。
葬儀などの支度をするため、しばらくマンチェスターにとどまる間、久々に共に時間を過ごしながら気持ちがかみ合わずたびたび衝突を繰り返す2人だった。

キャスト
ケイシー・アフレック - リー・チャンドラー
ミシェル・ウィリアムズ - ランディ
カイル・チャンドラー - ジョー・チャンドラー
ルーカス・ヘッジズ - パトリック
C.J. ウィルソン - ジョージ

スタッフ・作品情報
監督:     ケネス・ロナーガン
脚本:     ケネス・ロナーガン
製作:     キンバリー・スチュワード
ローレン・ベック
クリス・ムーア
マット・デイモン
ケヴィン・J・ウォルシュ
音楽:     レスリー・バーバー
撮影:     ジョディ・リー・ライプス
編集:     ジェニファー・レイム
製作会社:     Bストーリー
Kピリオド・メディア
パール・ストリート・フィルムズ
CMP
配給:     アマゾン・スタジオズ
ビターズ・エンド/パルコ(日本)
公開:     2016年11月18日(アメリカ)
      2017年5月13日(日本)
公式サイト:     http://www.manchesterbythesea.jp/

ケイシー・アフレック、ルーカス・ヘッジズともに最高の演技をみせてくれます


詩的な映像

冷静にストーリーの流れを静観すると一昔前の日本のメロドラマ的かもしれない。
しかしながら、本作はストーリーを追わずマンチェスター・バイ・ザ・シーの空や海をリーの心の機微と重ねて描くことでリリカルに仕上げている。
また、現在のリーとパトリックの姿を描きながら、時折過去の楽しい時間やリーを故郷から遠ざけてしまった悲しい事件がフラッシュバックのように挿入される。

リーを演じた    ケイシー・アフレックの体演が実に素晴らしい!
アカデミー賞を受賞したので当然とは思ってはいたが、改めて実感。
声の使い分け、目線、表情どれを取っても秀逸。
マンチェスター(バイ・ザ・シー)のジョージから兄が倒れたとの電話を受けるシーンが特に気に入った。
パトリック役 ルーカス・ヘッジズも、その年頃の普通の少年っぽくて自然なところが良いし、脇役ではリーとパトリックを何かと気にかけるジョージ役のC.J. ウィルソンがいい演技を見せてくれる。
ルーカス・ヘッジズはケイシー・アフレックに負けじと様々な賞を受賞しているが、彼の父親は脚本家のピーター・ヘッジズだそうだ。
(「ギルバート・グレイプ(原題:What's Eating Gilbert Grape 1993年公開)」)

リーが呑んだくれて酔っ払って喧嘩になるシーンが2回くらい出てくる。
もともと彼がけんかっ早い性格なのではなく、自分が招いてしまったある事件から自らを「生きる価値がない最低人間」だと思いこんで生きてきたから、酔うと嗤われているとかバカにされていると受け取ってしまうのが原因なのだろう。
事実、マンチェスターに帰った彼を「ああ、あれが噂の男か」という冷ややかな目で見る連中が少なくないのだ。

毎日が平和だったころを象徴するボートシーン

なぜリーとパトリックはぶつかり合うのか?

リーは、未成年のパトリックの後見人を亡き兄から託されていた。
現在ボストンに居を構えているし、それよりも帰郷することを避けていて、二度とここに戻ることなど思っていなかったリーは焦る。
かつて兄弟と甥とで楽しい時間を過ごしたこの地で、久々に再会したリーとパトリックは何かにつけぶつかり合う。

大切な人を失った二人の喪失感は同じだ。
違うのは、リーは中心になって動かなければならない葬儀の慌ただしさで飽和状態であること。
故郷に舞い戻った彼を待ち受ける冷たい視線。悲しみも感じないうちに早くこの地を離れたい、逃げたいと必死になってもいた。
それを見て、子供の頃の楽しい思い出をリーが壊すように思えたのだろう、パトリックの苛立ちは大きくなっていく。
二人の心の襞(ひだ)が繊細に描かれているから、見る側もそれぞれの立ち位置に立つことになるのだ。
要は、現実を受け止められないのだろう、リーもパトリックも...そう思う。

リーが可哀想で切なくて、見ているのが辛い。
この町の人と話したくないのに、無理しながら兄の葬儀や甥のために奔走する姿が痛々しくなってくる。

なにやら“兆し”が見えるラスト

故郷を早く離れたい思いはあっても、甥にできるだけのことはしてあげたいと努力するリー。
その気持ちを察し、徐々に受け止めるパトリック。
ラストがさりげなくていいなと思いました。
田舎道を歩く2人のさりげない会話に「救い」が感じられてホッとしました。


かつての妻ランディがリーに想いを打ち明けるシーンは自然に泣けてくる

ランディ(ミシェル・ウィリアムズ)が今まで言葉にできなかった想いをリーにぶつけるシーンは迫真の演技だった。
愛し合っているまま、あの事件が起きて別れなければならなくなった二人。
彼女が抱えてきた想いは切実だ。
言葉にはなかなか出せないことをしっかり伝える勇気とか潔さは、日本の女性には真似できないだろうなと考えさせられたりもする。




ディスタービア(Disturbia) − ある意味期待を裏切らない作品

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凝った内容でもなく、肩の力を抜きながら見られる映画です。
ただ私の場合、後半はハラハラドキドキが続き、心臓バクバクでした。
若いシャイア・ラブーフが見られます。
「マトリックス」のキャリー=アン・モスが母親役で出ています。

昨今のシャイア。

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ストーリー
ケイル(シャイア・ラブーフ)は、突然の交通事故で彼の目の前で父親を亡くしていた。
ショックから立ち直れない状態が続き自暴自棄になっていた、ある日学校でスペイン語の教師を殴ってしまう。
罪を問われた彼は、3ヶ月間の自宅監禁処分を裁判所から言い渡される。
足首に監視システムを付けられ、自室から出ることができなくなったケイル。
母親(キャリー=アン・モス)から、テレビのコードも切断されゲームもできない。
暇を持て余して、双眼鏡で近隣住民への覗きを始める。
隣に越してきたばかりの謎めいた美人アシュリー(サラ・ローマー)とも親しくなる。

親友のロニー(アーロン・ヨー)を誘って隣近所の覗きに没頭しながら、テレビのニュースで放映していたシリアルキラーが裏手に住んでいるターナー(デヴィッド・モース)ではないかという疑いを持ち始める。

隣に越してきたアシュリーも覗き仲間に...

キャスト
ケイル - シャイア・ラブーフ
アシュリー - サラ・ローマー
ロニー - アーロン・ヨー
ミスター・ターナー - デヴィッド・モース
ジュリー - キャリー=アン・モス
パーカー刑事 - ヴィオラ・デイヴィス
グティエレス警官 - ホセ・パブロ・カンティーロ

作品情報
監督 DJ・カルーソー
脚本:クリストファー・B・ランドンカール・エルスワース
製作:ジョー・メジャック  E・ベネット・ウォルシュ
   ジャッキー・マーカス
撮影:ロジェ・ストファーズ
編集:ジム・ペイジ
公開2007413日(アメリカ)20071110日(日本)
原題Disturbia

親友のロニーも探偵ごっこの仲間


冒頭での父親が無残な死を遂げるショッキングな事故と、ケイルの身辺に起きる一連の事件が何らかのつながりがあるものと期待していたら、全くの空回り。
隣に住む怪しげなおじさんがデヴィッド・モースだと分かると「なにやら怪しいぞ」となりつつも「そんな安直にはいかないんだろうな」という期待もたちまち崩れ去る。
そう、物語はただただ何のタネも仕掛けもなしに進行していくのです。
謎解きも何もなしに、ケイルの若いが故の無謀で大胆でお馬鹿で考えなしの行動で転がるようにストーリーは突っ走っていく。

デヴィッド・モース。やっぱり期待を裏切りませんね

後半は、ひたすら
「うわぁ、そんな無謀な!」
「キャァ〜!志村うしろ!!
「えぇ地下室が死体の海やぁ」
息つく暇もなく、ドキドキハラハラが続く。

双眼鏡やハンディカムで定点観測をするPOV映画の要素もあり、余分な推理は無用の気楽に楽しく見られる映画でした。
AMAZONプライムやHuluで見られますよ。


ザ・ギフト(The Gift) − 全ての原因はお前だったのか?!

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以前、テレビの映画紹介コーナーで「王様のブランチ」です!...紹介されていてとても気になっていた作品です。
DVD化されて、とうとう見ることができました。


テレビで紹介されていた感じだと、ストーカー絡みの話かなと予想はしていましたが、ある意味予想外の方向に進んでいきました。

ストーリー
サイモン(ジェイソン・ベイトマン)とロビン(レベッカ・ホール)は、引っ越してきたばかりの土地で幸せいっぱいな日々を送っていた。
悩みといえば、子供ができないことくらいだった。
そんな彼らの前に、サイモンの高校の同級生ゴード(ジョエル・エドガートン)が現れる。
食事に誘い別れた矢先、ゴードから1本のワインをプレゼントされる。
それをきっかけに家を訪ねては贈り物をし続けるゴード。
サイモンは実は高校時代ゴードは変わり者で、あまり関わりたくないことをロビンに打ち明ける。
ゴードの行動が次第にエスカレートしていき、二人が違和感を抱くようになるり、周囲で異変が生じ始める。

キャスト
サイモン - ジェイソン・ベイトマン
ロビン - レベッカ・ホール
ゴード - ジョエル・エドガートン
ルーシー - アリソン・トルマン
ケヴィン・“KK”・ケラー - ティム・グリフィン
ダフィー - ビジー・フィリップス
ロン - アダム・ラザール=ホワイト
ウォーカー刑事 - ボー・ナップ
ミルズ刑事 - ウェンデル・ピアース

スタッフ・作品情報
監督:ジョエル・エドガートン
脚本:ジョエル・エドガートン
製作:ジェイソン・ブラム
レベッカ・イェルダム
ジョエル・エドガートン
撮影:エドゥアルド・グラウ
編集:ルーク・ドゥーラン
公開:
201587日(アメリカ)
20161028日(日本)
原題The Gift

幸せな夫婦に忍び寄る不気味な影

ゴード役のジョエル・エドガートンが監督を務めたサスペンスです。
ジョエル・エドガートンといえば、先日見た『ミッドナイト・スペシャル(2016:ジェフ・ニコルズ監督作)』にも出演していました。
その目がとても怖い...ギラギラした怖さじゃなく、何を考えているのかわからない不穏な光をたたえた目です。
ストーカーとも思える行動をとり幸せな夫婦につきまとう不気味な男。
このまま、サイコパス男のストーカー行為がエスカレートしてハラハラドキドキの度合いが高まるかと思いきや、実は
ロビンは、過去に精神安定剤を過剰に摂取していた時期があり、ようやくそれを乗り越えここまできたのですが、ゴードが絡む事件で再びおかしくなり、薬に頼るようになります。
わけがわからなくなり、一体誰がおかしいの?
という疑念にかられるようにもなります。ロビンも見ている私たちもです。

結局は誰がおかしいのか?
ネタバレに近いですが、これだけヒントとして書いてしまいます!
全てゴードが変わり者で、幸せなサイモンを妬んでの所業なのかと思っていたら、実は一番の悪いやつ、とんでもないサイコが他にいたのでございます。
タイトルの『ザ・ギフト』とは、そういう意味だったのか~と納得できるのです、ラストでね。

本作のヒントとなるキーワードは、
“いじめっ子(Bully)”と
“逆転”
そして
“あなたが寝てる間に”
かな

ロビン役の女優さんが、80年代『シャーキーズ・マシーン』とか『カリブの暑い夜』のレイチェル・ウォードを思わせる美しさで、素敵でした💕

神様メール − 聖書は自分で作るもの!

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WOWOWで鑑賞しました。

ストーリー
ベルギーのブリュッセル。とあるアパートに家族と共に生活している神は、慈悲深いという人々が抱いているイメージとは真逆の嫌な人物であった。自分の部屋に置かれたパソコンを駆使して世界を管理しているが、いたずらに災害や事故を起こしては楽しんでいた。そんな父親に怒りを覚える10歳の娘エア(ピリ・グロワーヌ)は、家出を考える。立ち入りを禁じられている父親の部屋に忍び込んだ彼女は、全人類それぞれの死期を知らせるメールを送信して家を飛び出してしまうが……


キャスト
ブノワ・ポールブールド神様
カトリーヌ・ドヌーブマルティーヌ
フランソワ・ダミアンフランソワ
ヨランド・モロー女神
ピリ・グロワーヌエア

スタッフ・作品情報
監督:ジャコ・バン・ドルマル 
製作:オリビエ・ローサン  ダニエル・マルケ
脚本:ジャコ・バン・ドルマル  トーマス・グンズィグ
撮影:クリストフ・ボーカルヌ
美術:シルビー・オリベ
編集:エルベ・ド・リューズ
音楽:アン・ピエールレ

原題:Le tout nouveau testament
製作年:2015
製作国:ベルギー・フランス・ルクセンブルク合作

配給:アスミック・エース

公式サイト:http://kamisama.asmik-ace.co.jp/


使徒の中の一人、女の子になりたい男の子。



神や聖書にまつわる不条理をファンタジックに仕上げたドラマ。
笑える場面もあり奇想天外なコメディなのに、この世の中に生きる人々の苦しみや哀愁も伝わってくる。
こじんまりと纏まっていないのがこの監督さん(ジャコ・ヴァン・ドルマル)らしい。
「ミスター・ノーバディ」のような深奥なセオリーに取って代わって、今回は取っ付きやすい童話手法が取られている。
天国 ―― つまりエアとその家族が住む暗い家、そこからドラム式洗濯機を通って下界に降りたつ。
彼女は下界で新しい聖書「新・新約聖書」を作るべく6人の使徒を探す旅にでて、神(父親)に運命を握られていた報われない彼らに救いの手を差し伸べる。
特に夫に相手にされない寂しいマダム(カトリーヌ・ドヌーヴ)のエピソードが型破りすぎて一番面白い。

ついに理想の相手に巡り会えた?!



男女がベッドに横たわるシーンが頻繁に出てくるが「ミスター・ノーバディ」のニモ(ジャレッド・レト)とアンナ(ダイアン・クルーガー―― または、彼らの15歳の時期を演じたトビー・レグボとジュノー・テンプルのあのシーンを彷彿させる。物悲しく美しい映像と音楽は変わらず素晴らしい。

ミスター・ノーバディのワンシーン

エアのお母さんが、夫に虐げられ、ただ黙り続ける役立たず人間なのかと思いきや素敵なオチをつけてくれるシークエンスにホッとする。

詰まるところ、人生は他者に操作されるものではなく、自分がどう進んでいくかで決まるのだ。
本作も「ミスター・ノーバディ」で監督が描いた人生賛歌がモチーフとなっている。
理不尽な親の束縛から逃れる10歳の少女エアの通過儀礼の物語でもあるのだろう。

使徒たちの声を本にした「新・新約聖書」も出版され、日の目をみることになってめでたしめでたし!
ちなみに、本作のタイトルは「 Le tout nouveau testament(新・新約聖書)」です。


恋人たちの予感(When Harry Met Sally...)− 男と女は複雑なのである!

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キャスト
ハリー・バーンズ - ビリー・クリスタル
サリー・オルブライト - メグ・ライアン
マリー - キャリー・フィッシャー
ジェス - ブルーノ・カービー
ジョー - スティーヴン・フォード
アマンダ - ミシェル・ニカストロ


スタッフ・作品情報
監督:ロブ・ライナー
脚本:ノーラ・エフロン
製作:アンドリュー・シェインマン
ロブ・ライナー
音楽:ハリー・コニック・Jr
撮影:バリー・ソネンフェルド
編集:ロバート・レイトン
製作会社:キャッスル・ロック・エンターテインメント
配給:コロンビア映画(アメリカ)
    日本ヘラルド映画(日本の旗)
公開:1989年7月21日(アメリカ)
   1989年12月23日(日本)
原題:When Harry Met Sally...

結局一線を超えてしまった2人...なぜかこの後気まずい雰囲気に

当時一番仲良しだった友達と劇場でみた映画だ。
「男女の間に友情は成立するか?」
映画が終わった後、このテーマを食事をしながら真剣に語らったのだ。
そうは言っても、恋愛経験豊富な友達ほどこの映画を真剣に捉えていなかったのは否めない。

「自分勝手に夢の中のヒロインでいたい女という生き物は、“ひたむき”を装う為に信じていないものも信じていると平気で言えるのだ。
サリー(メグ・ライアン)にしたとて“ぶりっ子”的な振る舞いが多すぎるではないか。時にお得意の涙を駆使して生真面目なハリー(ビリー・クリスタル)を散々振り回し続けた…要は彼女は一枚上手だ」

冷淡な批評をしていた当時の自分。
映画のハリーが言うように、セックスによって男女間の友情、信頼関係は消えていくと知っているのに、そうではない“ふり”をしているサリーは性悪だと…なんという斜め目線ないけ好かない若造だったことか。
久々に『恋人たちの予感』を見た感想より先に、あの時の自分の青さを思い出してしまった。

この作品の中のハリーとサリーが出会うのは、大学を卒業して夢を求めてニューヨークに向かうときだ。
付き合ってもいない男女が、何時間も車の中で一緒に過ごす。
緊張感とともに互いを異性的な目で見詰めることに当然なるだろう。
この時のサリーのヘアスタイルまさに子供時代の憧れファラ・フォーセット。
時は70年代末だ。
それから5年後、お互いに恋人を見つけてNYの暮らしに馴染んでいた頃飛行機の中で再び出会う。
それからさらに5年後、30歳を過ぎてそれぞれ相方と別れ失意のどん底にいた彼らがまたまた出会う。
ここまでくれば、ただの偶然で済ますことはできないだろう。

憧れのファラ・フォーセット風。 リース・ウィザースプーンにも見える?!

一言で言ってしまえば、ハリーとサリーの成長物語だ。
本当は互いに愛しているのに、一線を乗り越えてしまうと大切なパートナーを失ってしまうことが怖くなってくる。
愛が深まれば深まるほどに。

「男女の間に友情は成立するか?」
イエスとかノーと簡単に答えは出せない気もする。
長年連れ添った夫婦は、最終的には“友情”のようなもので繋がっていると言えるし。

本作は、監督のロブ・ライナーが連れ添った妻と離婚して失意の底にあった時、脚本家のノラ・エフロンに相談したことが脚本が生まれるきっかけになったそうだ。
男と女の性質をハリーとサリーを通して第三者目線で見て、観察しながら、彼らそして自らも含めての人間という生き物がなんとなくわかってくる、そんな映画だ。

劇中流れるハリー・コニックJr.の音楽も忘れてはならない。
アシッドジャズも盛んだったこの時期に、若手にしては珍しく古臭いビッグバンドスタイル。
当時、こういった古風なジャズは聴かなかった私も、彼の声と演奏に魅せられてしまった。
(演奏云々よりもルックスに惹かれたとも言えるかものちに彼は俳優としても活躍している)

キャリー・フィッシャーがサリーの親友役で出演、いい演技を見せている。
当時、それまで「スターウォーズ」のレイア姫のイメージしかなかったから、彼女の老け込みように少し驚いたりもした。
昨年末、彼女は突然帰らぬひととなってしまった、とても残念だ。

『恋人たちの予感』は、メグ・ライアンお得意のラブコメとは一線を画す映画だろう。
ビリー・クリスタルについては、当時は“冴えない感じだけどちょっと面白い”くらいの薄い印象だったかもしれない。

ともかく個人的にも、80年代の思い出が蘇ってくる忘れられない一本だ。




パターソン(Paterson)− チクショウ、詩が好きだ。誰か文句あっか!?

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前作『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ』から約3年。
ジム・ジャームッシュ作品はヴァンパイアのカップルではなく、平凡な毎日を送る生身の人間たちのお話だ。

ストーリー
ニュージャージー州パターソンに暮らすパターソン(アダム・ドライバー)は、妻のローラ(ゴルシフテ・ファラハニ)とフレンチブルドッグのマーヴィンと暮らしている。
市の巡回バスの運転手をしている彼は、いつも同じ時間に起床し職場に向かう。
仕事の合間に詩を書き、秘密のノートに記している。
夜は行きつけのバーで、一杯のビールを飲むことがささやかな楽しみ。
毎日毎日同じルーティンは続く...そんなパターソンのある一週間の物語。

キャスト
パターソン:アダム・ドライバー
ローラ:ゴルシフテ・ファラハニ
エヴェレット:ウィリアム・ジャクソン・ハーパー
マリー:チャステン・ハーモン
ドック:バリー・シャバカ・ヘンリー
日本人の詩人:永瀬正敏

スタッフ・作品情報
監督・脚本:ジム・ジャームッシュ
製作:ジョシュア・アストラチャン、カーター・ローガン
音楽:カーター・ローガン
撮影:フレデリック・エルムス
製作:
    K5 International
    Le Pacte
    Animal Kingdom
    Inkjet Productions

公開:
2016年5月16日 カンヌ国際映画祭
2016年11月17日 ドイツ
2016年12月21日 フランス
2016年12月28日 アメリカ

無欲な男、パターソンが織りなす不思議な詩の世界

アダム・ドライバーが演じるのは、巡回バスのドライバー。
ちょっぴりジョークのようなキャスティング。
彼の名前は、パターソン ―― パターソン(アメリカ ニュージャージー州)に妻と小さな家に住む地味な労働者階級の男。
詩を書くこと以外に物欲は一切ない。
詩と妻の笑顔があれば「何もいりません!」といってもいいほどの無欲な人間。
毎日走る同じ市内の風景の中、運転しながら自然に聞こえてくる乗客の会話に耳を傾けながら時に微笑を浮かべる。
そうしている間に、時計の針は彼の意識を超えて勝手に進み続ける...
働く人なら覚えがある「無意識のうちに時間が過ぎてた」ってやつだ。
街の空気と流れ行く景色に包まれながら、見る側もパターソンの書く詩の世界に入り込んでいく。
彼が生み出した詩が音のように流れてくる、アダム・ドライバーのボイスオーバーが心地よい。

ローラは、同じアーティストタイプとはいえ、パターソンとは真反対の性格。
家中のカーテンを始めあらゆるものにサークル(円)を描きまくったり、同じ模様(サークル)のカップケーキを焼いている。
常に新しい何かに挑戦するタイプの美しい女性だ。
妻が毎日作るエキセントリックなカップケーキとピザにパターソンは笑顔で応える、顔は少しだけ引きつっているけれど。
妻の笑顔を見られれば、日々幸せなのだ。

アーティストのローラ。サークル模様が大好き!

詩、そしてウィリアム・カルロス・ウィリアムズへのオマージュ

パターソンの敬愛する詩人、ウィリアム・カルロス・ウィリアムズ。
彼が残した詩集『パターソン』は、5部から成る難解な詩集だ。
現代人の心と都市の間の類似点を、特殊な表現手法を使って編んだ作品 ―― それはさながら、短編小説、手紙、新聞記事などを切り貼りしたコラージュのようだ。
ちなみに、パターソンの市名はニュージャージー州知事 ウィリアム・パターソンから名づけられたそうだ。

ローラが朝、何気なく発した言葉はパターソンのいく先々に形を変えて登場する。
バスの乗客が発する会話、夜のバーに居つくバーフライ ―― 周囲の人たちは主人公となんらかの糸で繋がっている。
パターソンに暮らす人たちは個として存在し、様々な問題や憂鬱を抱えて生活している。
それは、全世界の「ある土地」に暮らす人々にとっても同じことなのである。
まるでウィリアム・カルロス・ウィリアムズの詩に登場する苦悩の元に事件を引き起こす人たちのように。

しかしながら、またしても映画全体の流れを大きく変えるような大事件は起こらない。

帰宅するとなぜいつもポストが倒れてるの??

パターソンの滝

パターソンが妻の手作りのパンケーキを食べながら詩作をする場所が、パターソン市で有名な大滝(The Great Falls)だ。
W.C.ウィリアムズの詩集『パターソン』が複雑な手法をとりつつ、結局はパターソンという土地とそこに流れる滝に帰着するように、ラストシーンもこの大滝に戻ってくる。
――  ここでは涙を必死でこらえる アダム・ドライバーに惹かれること必至だ。

この重要シーンに登場するのが、彼『ミステリー・トレイン』の時、どこかへそ曲がりの若造 ジュンを演じた永瀬正敏だ。
二人は、これまたある共通点で繋がってくる。
パターソンにとっては、それこそ“Aha experience”と言えるだろう。
(わかりづらい説明で申し訳ないが、映画を見ればわかる...はず)

A-ha !!!


映画『パターソン』は、主人公が愛してやまない“詩”へのオマージュ、つまり監督が試みた映像と詩の融合だ。
労働者階級の主人公 パターソンの生活と彼が編み出す詩の世界が、写真のクロスプロセスのように描がれている。
その視座は定距離でいながら優しい。
ジャームッシュ監督らしい会話劇ではあるが、登場人物の表情に思わず引き込まれてしまう。
日々を規則正しく慎ましく平穏に送っているパターソンだが、ローラとマーヴィン(犬)との三角(2人と1匹!)関係も注目すべきだろう。
彼女はマーヴィンに話しかける時赤ちゃん言葉になるのだが、それを穏やかならざる様子で見ているパターソンの表情に要注意だ。

パターソンのライバル?! ブサカワ犬のマーヴィン


僕は詩人たちをアウトローの幻視者だと思う。
なんていうか、詩が好きだ。
チクショウ、詩が好きだ。誰か文句あるか!?
by ジム・ジャームッシュ

(1999年11月15日 第43回 ロンドン・フィルム・フェスティバル  ナショナルフィルムシアター&『ガーディアン』誌インタビューより)

『パターソン』は、8月26日から東京・ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほかで全国順次公開。

リトル・オデッサ(原題:Little Odessa)― 90年代映画の傑作

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90年代、劇場で見られなかった映画をWOWOWの番組表を綿密にチェックして見ていた時期があった。
その頃、本作『リトル・オデッサ』をみて尠からず衝撃を受けたのだった。
何が衝撃だったか ――
作品そのものの持つ雰囲気とテンポはそれまでに見たことにないものだったし、見るものを突き放した残酷な結末にはさすがにたじろいでしまったのだ ―― タイトルから勝手にほのぼのとした作品だと勘違いしていたから...

監督 ジェームズ・グレイ、若干25歳のデビュー作。
彼の作風である、ノワールではあるがオープニングから終始流れる静謐な空気は『Berliner Messe - Sanctus』の音楽の効果もあるのだろう。

ストーリー
舞台はニューヨーク・ブルックリンのブライトン・ビーチ――リトル・オデッサと呼ばれる地区。
ここで生まれ育ったロシア系ユダヤ人ジョシュア(ティム・ロス)は、このエリアを牛耳るマフィアのボス ヴォルコフの息子を殺したために故郷に戻れない状態にあった。
ヒットマンとして自らの手を汚してきた彼にリトル・オデッサでの仕事が舞い込み、仕方なしにこの地に戻ることになる。
喜んでくれるのは久々に会う弟のルーベン(エドワード・ファーロング)だけ。
母のイリーナ(ヴァネッサ・レッドグレイヴ)は脳腫瘍で余命いくばくもなく、父のアルカディ(マクシミリアン・シェル)はジョシュアを家に入れるつもりもない。
ジョシュアはかつての恋人アラ(モイラ・ケリー)と再会、忘れかけていた恋が再び燃え上がる。
一方、ヴォルコフは、ジョシュアが戻っている噂を聞きつけ彼の行方を追っていた。
アルカディは、ヴォルコフに借金がありジョシュアの居所を教えるよう迫られていたが、ついに息子を裏切ってしまう…

キャスト
ジョシュア・シャピラ:ティム・ロス
ルーベン・シャピラ:エドワード・ファーロング
アラ:モイラ・ケリー
イリーナ・シャピラ(母):ヴァネッサ・レッドグレイヴ
アルカディ・シャピラ(父):マクシミリアン・シェル
ボリス・ヴォルコフ:ポール・ギルフォイル
サシャ:デヴィッド・ヴァディム

スタッフ・作品情報
監督     ジェームズ・グレイ
脚本     ジェームズ・グレイ
製作     ポール・ウェブスター
音楽     ダナ・サノ
撮影     トム・リッチモンド
編集     ドリアン・ハリス
製作会社     ニュー・ライン・シネマ
配給     Fine Line Features(アメリカ)
           メディアボックス=シネセゾン(日本 )
公開     1995年9月19日(アメリカ)
            1995年12月23日(日本)
原題     Little Odessa

故郷リトルオデッサにやむなく戻るジョシュア

たまにこの映画のような展開になるたび
「今の時代だったら、こんな展開にならなかったのに...スマホで連絡してたら」
などと不覚にも考えてしまう。
それにしても、この映画は1994年の映画。
兄を慕う弟と家族内の紛紜、そしてあのラストシーンはどこかで覚えがないか。
そう、『アメリカン・ヒストリーX』だ。
マフィアと白人至上主義 ―― そこにあるのは憎しみ、負の連鎖。
ジョシュアとルーベン ――
ん?何やら宗教の匂い…
ジョシュア→ヨシュア記。
逃れの町(=リトル・オデッサ)で血の復讐とか...
宗教に詳しくないのでこれ以上は掘り下げられないが。

脳腫瘍を患う母親に寄り添うルーベン

人の命を奪う稼業をしている冷徹なジョシュアが諸悪の根源なのだろうか。
根底にもっと深い問題が潜んでいるのではないか。
すぐにルーベンに手をあげる父親。
それを見てジョシュアは、父親を殴り飛ばす。
映画では特に語られないが、ジョシュアにも暴力を振るっていたことがうかがえる。
自分のいいなりにならないから家の外から放り出し、久々に戻った息子に
「お前は家族をダメにする」
と言い放つ。
本来ならば子どもを突き放すのではなく、向き合わねばならないところだ。
病弱な妻を看病はするが、薬を買い忘れたという ―― 実は外には若い別な女の存在があった。
父と息子の憎しみ合いが悲劇を招いてしまったのだろう。

雲ひとつない澄み渡った青空に真っ白いシーツを干すアラ。
その下で悲劇は起こる ―― やがて怒涛のラストになだれ込む。
容赦なく対極を据えるカメラワークは、監督の凄さを見せつけられる。
エンディングに流れるアルヴォ・ペルトの『Berliner Messe - Sanctus』は、レクイエムのように胸にジーンとしみてくる。
改めて傑作だと思う。



ライト/オフ― 久々、怖かった!!

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監督 デヴィッド・F・サンドバーグが2分半くらいのショートフィルムとして動画サイトで公開。
何千万回(詳細は忘れました)とか再生されたことから映画化に至った作品です。
気になっていたので録画して(WOWOWで放映)見てみました。
ホラーが苦手なので、何でも大抵の作品は怖がる自分です...ほんと、怖かったです。
珍しく主人(ホラー好き)も「面白かった!」という感想でした。

ライト/オフ(原題:Lights Out)

監督:デヴィッド・F・サンドバーグ/製作年:2016年


ストーリー
母親 ソフィー(マリア・ベロ)が心を病んでから、実家を出てひとり暮らしをしていたレベッカ(テリーサ・パーマー)。
「電気を消すと、何かが来る。ママの様子も変で夜眠れないんだ」と実家に母親と2人で住む弟 マーティン(ガブリエル・ベイトマン)から相談される。
実はレベッカには思い当たる事実があった、彼女が家を出た理由も、それが原因だったのだ。
苦しんでいる幼い弟を見ながら、今度こそは家族を見捨てずに正体を突き止めようと決意する。
照明を準備し、実家に乗り込んだレベッカだった。

キャスト
テリーサ・パーマー:レベッカ
ガブリエル・ベイトマン:マーティン
ビリー・バーク:ポール
マリア・ベロ:ソフィー

スタッフ
監督:    デヴィッド・F・サンドバーグ   
製作:    ジェームズ・ワン    ローレンス・グレイ    エリック・ハイセラー
脚本:    エリック・ハイセラー   
撮影:    マーク・スパイサー   
音楽:    ベンジャミン・ウォルフィッシュ
原題:    Lights Out(2016年 アメリカ映画 )

ママ、あなたが一番怖いのよ!

誰もいるはずのない真っ暗な部屋で、何者かとブツブツ何やら話しをする病んでる母親(略してヤンママ)が怖い。
「ママが狂っているなら、その血を受け継ぐ僕らも変になるの?」
と現実的な先行きも恐れ始めている幼い弟。
暗闇に浮かぶシルエット...灯りをつけても、人間の及ばない力で再び灯りを消し徐々に近づくその恐怖との戦い。
昔みた「ホラー映画の王道」という感じがして懐かしさすら感じてしまいました。
お母さんの過去の恐怖体験が引き金となって出てくる女性がその正体なのですが…その先は言えません。
ただ、もっと怖さにバリエーションが加わればよかった気もします。

レベッカ役の女優さんが美しかった...クリスティン・スチュワートっぽい

個人的には、レベッカと弟と母親の家族愛に纏められている部分に好感が持てます。
ホラーに愛など不要という方もいるかもしれませんが ――

幽霊とか霊って、人の心にある恐怖心から生まれるというのは当たっているんですね。
ちなみに6月18日(日)にWOWOWで再び放映されます。



映画化の元となったショートフィルム

モーリス ― アイヴォリー作品の真骨頂

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先日、6月7日は昨年この世を去ったプリンスの誕生日でした。
ミネソタ州ではプリンスの栄誉と業績をたたえてこの日を『Prince Day』としました。
私も、その日はラッキーなことにお休みでしたので、VHSで1985年のRevolutionのライブを鑑賞したり80年代のアルバムを聴いていました。

さて ―― 6月7日は、映画監督ジェームズ・アイヴォリーの誕生日でもあります。
先日、30年ぶり(まではいかないかな…20何年かぶり)くらいに『モーリス』をみる機会ができました。
日本では1988年に公開されましたが、劇場で見ることは叶わず。
映画好きの友達が、関東に住んでいたので(正確に言えば、福島と栃木の県境!)地上波放映の際にビデオに録画してもらいました。
全体的に薄暗い場面が多い作品で、おまけに電波も悪くて時々ノイズが入ったりしていましたが、その時からマーチャント―アイヴォリー作品では好きな映画の1本になりました。

モーリス(原題:Maurice)

監督:ジェームズ・アイボリー / 製作年:1987年


耽美な映像

ストーリー
ケンブリッジ大学に学ぶモーリス(ジェームズ・ウィルビー)は、クライブ(ヒュー・グラント)と知り合いやがてお互いに深く惹かれ合うようになる。
お互いの家を行き来するうち抱き合い口づけを交わすも、体の関係には歯止めがかかっていた。
モーリスは亡き父の後を継ぎ株の仲買人に、クライブは弁護士としてそれぞれ別の道を歩み始めた。
その矢先、大学の同期生のリズリー(マーク・タンディー)が兵隊に手を出そうとして風紀罪で逮捕される事件が起きる。
彼は、将来を嘱望されながらも全ての地位を剥奪されてしまったのだった。
その一件からクライブの態度は一変 ―― 突然ギリシャへと旅立ってしまう。
それ以降、モーリスとクライブの運命が大きく変わって行く。

キャスト
モーリス・ホール : ジェームズ・ウィルビー
クライヴ・ダーラム : ヒュー・グラント
アレック・スカダー : ルパート・グレイヴス
バリー医師 : デンホルム・エリオット
デュシー氏 : サイモン・キャロウ
ラスカー・ジョーンズ : ベン・キングズレー
クリケットの見物客(カメオ) : ヘレナ・ボナム=カーター

スタッフ・作品情報
監督: ジェームズ・アイボリー
脚本: キット・ヘスケス=ハーベイ ジェームズ・アイボリー
原作: E・M・フォースター
製作: イスマイル・マーチャント
製作年: 1987年
製作国: イギリス
配給:     ヘラルド・エース=日本ヘラルド映画
原題 :     Maurice

ジェームズ・アイヴォリーという監督さんは、ヘンリー・ジェイムズやE.M.フォースター作品の映画化で知られているので、始めの頃は勝手にイギリス人と思い込んでいた次第。
ところが、生粋のアメリカ人(カリフォルニア州バークレー出身)だという事実にびっくり。
始めは監督ではなく、映画のセットデザイナーを目指していたといいます。

80年代当時、見た時とほとんど見方が変わっていなかったことに自分自身驚いています。
クライブが情けない人間で、演じたヒュー・グラントに嫌悪感すら覚えるほどでした。
友人のリズリーが捕まったときに見せた臆病なあの態度には、思わず笑ってしまう。
同性愛者である自分にも危険が迫っていると急に焦り始めて、寝込んでしまうクライブは健気にも看病しようと世話を焼くモーリスをも突き放す ―― 自分から誘っておきながら...ネグリジェみたいな寝巻きを着て寝床に逃げ込む姿はあまりにも女々しすぎです。

しかしながら、男どうしが抱き合ったりキスをしたりという映画が80年代当時それほどなく、免疫も持ち合わせていなかったため、若干の抵抗はありました...うーん、抵抗というよりは驚きかな。
ビデオを録画してくれた友人は、「私、この映画ダメだわ!」って言っていたのを思い出します。


クライブから心が離れて行くモーリス

クライブからも突き放され孤独に震えるモーリスの前に現れるのが、クライブの屋敷の猟番アレック・スカダー。
彼は寝ている部屋に忍び込んだり、ロンドンの職場に訪ねて来たりと身分が低いにもかかわらずモーリスに近づき、果敢に愛を示します。
アレックには狡猾な面もあって、モーリスが騙されてしまうのではないかと心配になったりもしますが、貧しさゆえの生きる知恵だったのかもしれません。
クライブは半ば勢いで結婚してしまい、不安定になって医師ジョーンズ(ベン・キングズレー)の元に駆け込むモーリス。

結局は、モーリスは“自由”を、クライブは“安寧”を選んでそれぞれの道を歩んでいくことになります。
ラストでのモーリスとクライブのシークエンスで、彼ら(モーリス、クライブ、アレックス)が本当に幸福を手にいれたかがわかってくる ――
クライブは妻と明るく会話をしていても、夜寝室に入ると2人の間に隔りがあることを感じさせます。
完全にゲイの世界から離れた訳ではないことが想像できるでしょう。

ジョーンズ医師が言った言葉が心に響いてきます。

『同性愛が許される国に行くことだ。この国(イギリス)は昔から人間の本性を受け入れない国だから ―― 』

イギリスという国が伝統を重んじる(保守的!)ということであり、その厄介な国を舞台に因習と自己の狭間で苦悩する人々を描いてこそアイヴォリー作品の真骨頂です。
(このテーマを嫌う人も多いかと思いますが)
余談になりますが、マーティン・スコセッシは、ジェームズ・アイヴォリー作品の世界観を表現したいがために『エイジ・オブ・イノセンス(1993)』 を撮ったと云われています。

イギリスってゲイが多いんじゃないかと思っています。(気のせいかな?)
アメリカの性科学者・動物学者 アルフレッド・キンゼイの言葉を引用させていただくと

男性は、異性愛と同性愛という二種類に分離した個体群からなるわけではない。この世は善と悪にはわかれない。すべてが黒いわけでも、すべてが白いわけでもない。自然が不連続なカテゴリーとしてふるまうことがめったにないのは分類学の基本である。ただ人類だけが分類を発明し、事実をむりやり分類棚に押し込めようとするのだ。
 (Wikiより)

カテゴライズしたのは人間です。
ということは、時代が変わればカテゴライズという重い枷も外されて行くのかもしれません。

ジェームズ・ウィルビーは『ハワーズ・エンド(1992)』で、超意地悪な貴族の役を演じていました。
アイヴォリー映画でおなじみのデンホルム・エリオット、サイモン・キャロウも出演していて、安定の演技を見せてくれています。
この二人は、どの作品においても殊のほか感じがいい!
デンホルム・エリオットについては、本作ではやたらと厳格な役ですが、実生活においてはバイセクシュアルであることを公表していたとのちに知って「あらっ?! 」ってカンジでした。

『モーリス』でアレック・スカダーを演じたルパート・グレイヴスは、英国の貴公子ブームの時に私が一番のお気に入りだった俳優さんです。
(誕生日も偶然同じ、6月30日!)


パンチドランク・ラブ ― 異常なのは彼じゃない!

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初めて見た時の「なんだコレ感」がたまらなかった作品です。
なぜだか見るたび好きになる不思議な映画です。

パンチドランク・ラブ(原題:Punch-Drunk Love)

監督:ポール・トーマス・アンダーソン / 製作年:2002年

ストーリー
バリー(アダム・サンドラー)は、トイレの吸引棒を扱う小さな会社を経営している。
彼は口うるさい7人の女兄弟に囲まれて育ってきた。
楽しみといえば航空会社のマイレージの特典付きプリンを買うこと。
そんなバリーに様々な事件が一気に起こり始める。
姉の同僚リナ(エミリー・ワトソン)と出会い恋が発展していくかと思いきや、不覚にも一度電話したテレフォン・セックスの相手から何度も電話がかかってくるようになり、思いもよらない事件に発展していく。

キャスト
バリー・イーガン:     アダム・サンドラー
リナ・レナード:     エミリー・ワトソン
ディーン・トランベル:     フィリップ・シーモア・ホフマン
ランス:     ルイス・ガスマン
エリザベス:     メアリー・リン・ライスカブ

スタッフ・作品情報
監督     ポール・トーマス・アンダーソン
脚本     ポール・トーマス・アンダーソン
製作     ポール・トーマス・アンダーソン
ダニエル・ルピ
ジョアン・セラー
音楽     ジョン・ブライオン
撮影     ロバート・エルスウィット
原題     Punch-Drunk Love

P.T.アンダーソン監督お得意の群像劇ではない。
まずは、突然キレたり泣き出したりする、バリーの性格の異常さに驚くかもしれない。
次に、バリーの身に次々と降りかかる冗談か悪夢かのような事件に唖然とするだろう。
しかしながら、一番の災厄というのは、彼があのかしましい姉妹に囲まれていることだろう。
バリーの性格が破綻している原因はまさにここにある。
姉たちに人格を否定され、物笑いにされて…彼は自己を内側に閉じ込めてしまったのだ。
姉妹がこんな風だから、他の女も同じようなものだという思考に走るのも当然。
“時々少年、たまに悪魔”ともいえる彼の奇怪っぷりよりも、彼の境遇のかわいそうさが堪らず、こちらまで心が砕けた。
それだから尚さら、ラストが響いてくるんだと思う。
キュンとしてジーンと沁みる。

映像は色彩が計算されているんだろうなぁ、とにかく美しい!
ブルーのフレアとか時々現れるカラフルなにじんだ絵の具のようなエフェクト。
わざと外したような音楽に ―― 「エターナル・サンシャイン」とか「マグノリア」のジョン・ブライオンが担当してる ―― 不思議に引き込まれる。

そういえば、エミリー・ワトソンとフィリップ・シーモア・ホフマンの二人は「レッド・ドラゴン」で共演してましたね。
ゆすり屋役のP.S.ホフマンの演技がまた、例によってすごくて色白の顔を真っ赤にして怒鳴りまくるシーンが圧巻でした。



ペーパーボーイ 真夏の引力 ― 20歳男子、最初で最後の恋

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なんでかなぁ〜。
全然評価されてないんです、この映画!
みる人のほとんどが、原作(原作 ピート・デクスター)に忠実なクライム・サスペンスとして見ている人が多いようです ――

ペーパーボーイ 真夏の引力(原題: The Paperboy)

監督:リー・ダニエルズ / 製作年:2012年


ストーリー
1969年フロリダ、問題をおこして大学をやめたジャック(ザック・エフロン)は、父親が経営する地方紙で新聞配達を手伝う日々を送っていた。
そんな中、マイアミで新聞記者をする兄ウォード(マシュー・マコノヒー)が、過去に起こった殺人事件で死刑の判決が出たヒラリー(ジョン・キューザック)が無罪かもしれないという取材をするため、同僚のヤードリーとともに故郷に帰ってくる。
ジャックは、雑用係として兄の手伝いをはじめる。
ある日ヒラリーの婚約者を名乗るシャーロット(ニコール・キッドマン)が訪ねてくる。
ジャックは親子ほども年上の彼女に魅かれていくのだった。

キャスト
ザック・エフロン/ジャック
ニコール・キッドマン/シャーロット
マシュー・マコノヒー/ウォード
ジョン・キューザック/ヒラリー・ヴァン・ウェッター
メイシー・グレイ/アニタ
デヴィッド・オイェロウォ/ヤードリー
スコット・グレン/W.W
ネッド・ベラミー/タイリー・ヴァン・ウェッター
ニーラ・ゴードン/エレン

スタッフ・作品情報
監督・脚本:
リー・ダニエルズ

製作:
リー・ダニエルズ
エド・カゼル3世
カシアン・エルウィズ
ヒラリー・ショー

製作総指揮:
ダニー・ディムボート
トレヴァー・ショート
ジョン・トンプソン
ボアズ・デヴィッドソン
マーク・ギル
ヤン・デ・ボン

原作・脚本:
ピート・デクスター

音楽:
マリオ・グリゴロフ

配給:
ミレニアム・フィルムズ
日活

原題:The Paperboy

アメリカ南部のジトーっとした暑い夏。

照りつける太陽 ――
舞台となるフロリダ モート郡(架空の地域です)は、まだ人種差別と格差社会が蔓延(はびこ)る。
殺人を犯したとして刑務所に入っているヒラリー・ヴァン・ウェッターは、社会の下層に位置する人間だ。
居をかまえる地域はフロリダの沼地、ヘビやワニがその辺にうじゃうじゃしている。
ぶら下げられたワニの腹を切り裂くと、なまなましい血と臓物が滴る。
ヒラリーの無実を暴くべく、4人の男女が集まり動き出す ―― 最終目標はそれぞれ違うにしても。
不快指数100%のこの世界に、追い討ちをかけてストーリーはエゲツないことこの上ない。
終盤の転げ落ちるような怒涛の展開には、こちらまで精神がどうにかなりそうだ...まるで湿地帯の沼にぶち込まれたみたいに。

ヒラリーと面会するジャック、ウォード、シャーロット、ヤードリー

ジャックを取り巻く2人の女と3人の男

ピート・デクスターの原作よりも、ジャックと2人の女 ―― シャーロットとアニタ(メイシー・グレイ)、ジャックとウォードのジェンセン兄弟の人間模様が色濃くフィーチャーされている。
さらにシャーロットを中心にヤードリーとヒラリー、そしてジャックの入り乱れた男女関係が絡まる。
俳優陣の熱演も見応えがある。
最も注目を浴びたのが、ニコール・キッドマンの怪演だろう。
全くもってそうだ ―― ザック・エフロンにオシッコかけまくり、ヒラリーに命じられるまま人々の熱い視線の前で自慰行為。
年齢に似つかわしくないグリッターなドレス&メイク。
ブロンドのウィッグのを脱ぐと、ボリューム感がなくショボさが隠せない。
そんな中年女の汚れ役に徹していたニコールに拍手を送りたい!

恋しい母親の話をするジャックとウォード

ニコール・キッドマン、マシュー・マコノヒーを凌駕したザック

この映画で、ニコールの熱演を上回っていたのがジャックを演じきったザック・エフロンだ。
ジャックは5歳の時に母親が出奔、それからは黒人のメイド アニタに育てられる。
アニタは、彼にとっての母親であり恋人だ。
よく聞く音楽もアニタの影響でソウルミュージックであることも、愛おしく感じてしまう。
彼は「母親に捨てられた」と思い込んでいたから、女性が苦手で学校生活でも女の子と付き合ったことなどなかった。
そこに現れたのがシャーロットだ。
シャーロットは、母であり恋人で、性欲の強いバービー人形だった
(劇中のセリフより)

シャーロットを見つめる視線、表情、シャーロットと一線を超えたあと急に態度が変わる幼稚さの抜けきらないところなど、大人になりきれていない20歳男子を熱演しているザック・エフロン。
その演技はどれをとっても素晴らしい!
お尻丸出しの体当たりの演技を見せたマシュー・マコノヒーをも超えている。
ニコール とマコノヒーの怪演  VS  ザックの正統派の演技
といったところか ――

1969年 ジャック20歳の暑い夏の物語

ジャックと同じようにウォードもトラウマを抱えている。
自分を痛めつけ貶めること、権力に立ち向かい悪を暴くことを免罪符と考えていたのかもしれない。
先に書いたように、ラストは怒涛の顛末があり、ジャックは大切なものを一気に失ってしまう。
後に忘れられない1969年夏の物語を書き上げ、出版することになる ―― そう、作家になったのだ。
何かを得ることで、何かを失う。
そんなちょっぴり甘くて切ないラスト ――
エンドロールでアル・ウィルソンの「Show & Tell」が再び流れると、涙で画面が見えなくなってしまうのだ。

劇中に流れるソウル・ミュージック

アニタの影響を受けたジャックがいつも聴いていたのは、ソウル・ミュージック。
どれもクールなナンバーばかりで、曲の入れ方がなかなか良い。
(細かいことをいえば、それぞれ発売された時期と作品の時代設定との食い違いは見られるのだが。)

劇中それぞれ2回流れる「I Just Wanna Wanna(Performed by Linda Clifford /1979)」と「Show & Tell(Performed by Al Wilson / 1973)」は、1970年代にレコーディングされた曲で、シャーロットと出会ってからのジャックの心情を詩にしたような切ないナンバーだ。

さて
ペーパーボーイ 真夏の引力
ストーリーを追うよりも、登場人物の表情を追って見て欲しい映画。
ただ今作が否定的に扱われた原因として考えられることは、クライム・サスペンスとヒューマン・ドラマがごちゃ混ぜになって、焦点が絞り切れていなかったのかもしれない。
脚本は、原作者のピート・デクスターも協力している。

ナイル殺人事件 ― まんまと犯人を忘れましたぁ

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子供の頃、劇場で見て以来の『ナイル殺人事件』をひっさびさに見てみました。
当時は、映画のCMで流れる
♪〜ミステリーナイィール〜♪
を聴いて映画の一場面を見て、まだ見ぬ映画本編とエジプトに想いを馳せ、劇場に行くまでいても立っても入られませんでした、懐かしい!
久々にDVDで見始めて、ふと気付きました ―― 犯人が誰だったのかまんまと忘れてしまったのです。

ストーリー
巨額の遺産相続人になったアメリカ生まれのリネット(ロイス・チャイルズ)は親友ジャクリーン(ミア・ファロー)から婚約者サイモン(サイモン・マッコーキンデール)が失業したから助けてほしいと相談される。
リネットはサイモンに会い、なぜか彼女はサイモンとの電撃結婚を発表する。
その後夫妻は、エジプトに新婚旅行に出るが、行く先々にジャクリーンが姿を現すのだった。

キャスト
エルキュール・ポアロ - ピーター・ユスティノフ
リネット・リッジウェイ・ドイル - ロイス・チャイルズ
サイモン・ドイル - サイモン・マッコーキンデール
ジャクリーン・ド・ベルフォール - ミア・ファロー
ルイーズ・ブルジェ - ジェーン・バーキン
アンドリュー・ペニントン - ジョージ・ケネディ
マリー・ヴァン・スカイラー - ベティ・デイヴィス
バウァーズ - マギー・スミス
サロメ・オッタボーン - アンジェラ・ランズベリー
ロザリー・オッタボーン - オリヴィア・ハッセー
ジョニー・レイス大佐 - デヴィッド・ニーヴン
ジェームズ・ファーガスン - ジョン・フィンチ
ベスナー医師 - ジャック・ウォーデン
ロックフォード - サム・ワナメイカー

スタッフ・作品情報
監督:    ジョン・ギラーミン
脚本:    アンソニー・シェーファー
原作:    アガサ・クリスティ
『ナイルに死す』
製作:    ジョン・ブラボーン
リチャード・グッドウィン
音楽:    ニーノ・ロータ
撮影:    ジャック・カーディフ
編集:    マルコム・クック
製作会社:    EMI Films
Mersham Productions
公開:    1978年9月29日(アメリカ)
     1978年12月9日(日本)
原題:    Death on the Nile

絢爛豪華! 楽しい旅の始まりです

さすがに、サイモンさんが脚を撃たれ悶え苦しむシーンで一気に記憶は蘇りました。
その瞬間で、全ての真相も思い出しました。
豪華絢爛なセットとエジプトの観光地の風景は、今でも目を楽しませてくれます。
登場人物が多くて、演じる俳優も超一流ばかり ―― エジプトロケとギャラで、制作費が大変だっただろうなぁ、下世話なことですが。
子供の頃、「なんだか似たような俳優さんばかりだな」って思ったのも、あながち間違っていませんでした。
結構、キャラが被ってるんですよ。

ミア・ファロージェーン・バーキンのポワァ〜としたキャラ。どちらも若干おつむのネジが緩んでそう。

親友にまんまと婚約者を奪われてしまう可愛いそうなジャクリーン

リネットによい扱いを受けてなかったメイドのルイーズ

ベティ・デイヴィスアンジェラ・ランズベリーの目がデカくて落っこちそうなおばあちゃんキャラ。
(アンジェラ・ランズベリーは立ち居振る舞いが、シンディ・ローパーっぽい!)

作家のサロメ役のアンジェラ・ランズベリー

富豪の老人スカイラー役のベティ・デイヴィス

出てくる人が多いので、この4人がごちゃごちゃになっちゃうのは何十年立っても変わりませんでした。
マギー・スミスって、厄介な付き添い役が似合います。
色々世話を焼いて口を出すけれど、かえって面倒臭い人(「眺めのいい部屋(1986)」でも何かと邪魔臭い世話焼きの付き添い役でした)。
ストーリー自体は、「火サス」の豪華版みたいな気がしますね。
子供の時分は、もっとワクワク感があったけれど ―― 大人になるとこうなるんでしょうかね...日本のテレビドラマも進化したのかもしれないし。
船の中で人がどんどん殺されていく、死体を置いておく場所が大変だろうなぁ...暑いさなかだしね。
いつかは私も、「エジプト旅行するぞ!」という当時の夢も叶わないまま今に至っています...とほほ

ところで、先に述べたエンディングに流れたサンディー・オニールの「ミステリーナイル」は、日本独自のイメージソングだったそうです。
曲にまんまと釣られる人が多かったようで、私もその中の一人だったわけです。
当時、そういう宣伝戦略多かったですよね。
ダイアン・レイン主演の『リトル・ロマンス(1979)』の「サンセット・キス」然り ―― この映画もメロディアスな曲のサビとベネチアのロマンチックなシーンに騙されて(?!)劇場に出向きましたもん!
あ、でも映画はなかなかよかったですよ。
あれ? 両方とも配給が東宝東和ですね。
もしかして『ラ・ブーム(1982)』の「愛のファンタジー(リチャード・サンダーソン)」もそうかなと思ったら、こちらは全世界に通じるテーマ曲でした。

1970年後期〜1980年前期は、音楽とタイアップして宣伝する手法がよく使われていましたよね。
私が音楽につられて見た映画だと

人間の証明(1977)「人間の証明のテーマ」ジョー山中
白昼の死角(1979)「欲望の街」ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
復活の日(1980)    「You are love」ジャニス・イアン
汚れた英雄(1982)「汚れた英雄」    ローズマリー・バトラー
里見八犬伝(1982)「里見八犬伝」 ジョン・オバニオン


あたりがそうですね。
もっと小さい頃だと『ベンジー』という犬が主人公の映画も宣伝につられて見にいきました。
(主題歌「I Feel Love」チャーリー・リッチ)

いやぁ、テーマ曲って作品にインパクトというか、見ないうちから勝手な先入観を抱かせますよね〜。
最近、再び日本独自のイメージソングで客を引く戦略が再燃してきてますしね!

予告編です。フィルム映画のレトロないい雰囲気!

君が生きた証 ― それぞれが踏み出す一歩

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DVDが発売されてすぐレンタルして鑑賞。
そのまま、感想を書かずにいるうちNetflixで見ることになりました。
音楽がいいのと、ビリー・クラダップがカッコいい!
そして、やはりアントン・イェルチンを偲んでしまった。


君が生きた証(原題: Rudderless)

監督:ウィリアム・H・メイシー / 製作年:2014年

ストーリー
広告業界で働くサム・マニング(ビリー・クラダップ)は仕事の業績も上々、順風満帆だった。
そんなある日、突然生活が暗転する ――
大学生の息子ジョシュ(マイルズ・ハイザー)が、銃乱射事件でこの世を去ってしまったのだ。
心はズタズタ…マスコミに追われ、酒に溺れる日々。
2年後 ―― サムは会社を辞め、ペンキ塗りをしながら湖に浮かぶボートで生活していた。
元妻(フェリシティ・ハフマン)が整理し持ってきた息子の遺品の中に、生前彼が作詞作曲し、録音したテープがあった。
それを聴きながら、息子が発していた声を感じていた。
行きつけのバーで催しているバンドのオーディションでジョシュが作った曲を演奏したサムに、「感動した」と声をかけてきた若者がいた――
バイトをしながらバンド活動をするクェンティン(アントン・イェルチン)だった。

キャスト
サム / ビリー・クラダップ
ジョシュ /  マイルズ・ハイザー
クエンティン /  アントン・イェルチン
エミリー /  フェリシティ・ハフマン
デル /  ローレンス・フィッシュバーン
トリル /  ウィリアム・H・メイシー
ウィリー(ベース) /  ベン・クウェラー
エイケン(ドラム) /  ライアン・ディーン
ケイト・アン・ルーカス /  セレーナ・ゴメス
リサ・マーティン /  ジェイミー・チャン

スタッフ・作品情報
監督・脚本:
ウィリアム・H・メイシー

脚本:    ケイシー・トゥウェンター
ジェフ・ロビソン

製作:
キース・キャラヴァル
ブラッド・グレイナー
ジェフ・ライス

音楽:
イーフ・バーズレイ
サイモン・ステッドマン
チャールトン・ペッタス
フィンク

撮影:
エリック・リン

配給:
ザ・サミュエル・ゴールドウィン・カンパニー
ファントム・フィルム(日本)

原題:Rudderless


監督は、コーエン兄弟の映画でおなじみウィリアム・H・メイシー


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飾り気のない、ど直球でくるいい映画だ。
おもに息子が亡くなった2年後が描かれている。
一見立ち直れているように見えても、人の心は厄介なもの。
息子ジョシュの自作の曲を聴き、詞に触れて初めて
「こんなことを考えていたのか。少しでも自分が声をかけていれば」
などと悔恨したりもするだろう。
サムの歌を聴いたクェンティンが、人懐こい犬のようにサムについてくる。
彼が演奏した曲 ―― つまり、息子ジョシュの曲に惹きつけられたのだろう。

ビリー・クラダップ 『あの頃ペニー・レインと』とは一味違うカッコよさ

自分のバンドでジョシュの曲を演りたいから、サムを誘ったと思えたりもしてくる。
最初にサムが演奏した時は、アコギ一本で、エリオット・スミス風だった曲は、クェンティンたちのバンドにかかりエレクトリックな音に変わる――
見事オルタナロックに変化し観客にうけるようになり、バンド Rudderlessとしてライブ活動を始めるようになる。
Rudderlessとは「舵のない(船)」そして「当てのない」という意味で、本作のタイトルにもなっている。
心の傷が癒えず、宙ぶらりんのサム―― そして、バイトしながらバンド活動はしているがそれを続けるか自分でも分からなくなっているクェンティンのことでもある。
監督(=ウィリアム・H・メイシー)の策略がいい!
見ている側は、途中までスルスルとうまい具合に騙されていたことに気づき、「え⁇」となる。
そういう意味では、冒頭に“ど直球” と表現しているは若干違ってくる。
合わせてクェンティンの真意が掴めず(敢えて描かなかった?)、もしかしてサムに曲を提供させさらにお金を出させるだけなのかとハラハラし通し。
「お願いだから、このかわいそうなおじさんをこれ以上傷つけないであげて!」
と祈るような気持ちでいっぱいだった。

息子が通っていた大学に出向き、犠牲者の慰霊碑の前に佇み号泣するサムの姿にグッとくる。
人間は、誰かを助けることで自分の魂も救われるのかなと思う。

“ いつまでも振り返るばかりでは前に進めない、一歩踏み出すんだ ”

ラストでサムが歌う『Sing Along』は、亡くなった息子へ送る、一歩踏み出す意思表明だ。

思わず引き込まれる楽曲揃い。
ビリー・クラダップは、相変わらずギターが似合うし、アントンの鼻声で彼の作品を思い出し感慨にふけってしまう。

出演者2人に囲まれご満悦のメイシー(左は妻フェリシティ・ハフマン)



ゼア・ウィル・ビー・ブラッド ― 油(オイル)が噴き出す、血が流れる !!

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タイトルのフォントが宗教(聖書)っぽくて良いです

ポール・トーマス・アンダーソン の「ハードエイト Sydney (1996)」「ブギーナイツ Boogie Nights(1997)」に続く“連れ人シリーズ” 第三弾。
勝手に“連れ人シリーズ”なんて名前つけちゃいまいたが ―― 
この後、このシリーズは「ザ・マスター The Master (2012)」へと続くわけです。
「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」は、高く評価され各映画祭で監督賞、主演男優賞、撮影賞、作品賞と各賞を総なめにしています。


ゼア・ウィル・ビー・ブラッド(原題: There Will Be Blood)

監督: ポール・トーマス・アンダーソン / 製作年:2007年

ストーリー
20世紀初頭。一攫千金を夢見る山師の男ダニエル・プレインヴュー(ダニエル・デイ=ルイス)。孤児を自分の息子H.W.(ディロン・フリーシャー)として連れ歩く彼は、ある日ポール(ポール・ダノ)という青年から自分の故郷の土地に油田があるはずだとの情報を得て、西部の町リトル・ボストンへと向かう。そして、すぐさま土地の買い占めに乗り出す。そんな中、ポールの双子の兄弟で住人の信頼を一手に集めるカリスマ牧師イーライ(ポール・ダノ)が、ダニエルへの警戒を強めていく。
allcinemaより)



キャスト
ダニエル・プレインビュー     ダニエル・デイ=ルイス
ポール/イーライ・サンデー(二役)     ポール・ダノ
ヘンリー     ケヴィン・J・オコナー
フレッチャー     キーラン・ハインズ
H・W・プレインビュー     ディロン・フリーシャー
メアリー・サンデー     シドニー・マカリスター
H・M・ティルフォード     デヴィッド・ウォーショフスキー
ジーン・ブレイズ     ダン・スワロー
ウィリアム・バンディ     ハンス・ハウェス

スタッフ・作品情報
監督     ポール・トーマス・アンダーソン
脚本     ポール・トーマス・アンダーソン
原作     アプトン・シンクレア『石油!』
製作     ジョアン・セアラー
ポール・トーマス・アンダーソン
ダニエル・ルピ
音楽     ジョニー・グリーンウッド
撮影     ロバート・エルスウィット
編集     ディラン・ティチェナー
配給:
ミラマックス
ディズニー(日本)
公開     2007年12月26日(アメリカ)
        2008年4月26日(日本)

原題:There Will Be Blood

今回は、ちょっと怖いカルト教団の宣教師役とその兄と二役のポール・ダノ。

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ダニエル・デイ=ルイス演じるダニエル・プレインビューの他人を突き放した冷血漢、人非人っぷりが半端ない。
周りの人間を裏切ることなんて屁とも思わない山師。
金に相当卑しい人間なんだろうな、と最初そう思って見ていたのだが、どうやら金を儲けることがすべてではなく ―― 自分が誰よりも成功して、他の人間を見下したいだけらしい。
とにかく、自分以外の人間の成功が許せないのだ。

子役ながらH・W役のディロン・フリーシャーも素晴らしい!
 
セリフは一切なく、金を見つけるために黙々と真っ暗な穴の中で掘削作業を続ける冒頭のシーンは圧巻だ。
物語は、ダニエルを訪ねてきた青年ポール(イーライの双子の兄)からサンデー家が所有する牧場に石油が出るという情報を得たことから動き出す。
全編にわたり流れる音楽は、「何かが起きる感」半端なく不穏なノイズのような音楽で容赦なく攻めてくる。
油田掘削中の爆発炎上事故、H・Wが聴力を失うシーンでは、“トントコトントコ...”という部族が儀式で踊る時に流れるようなリズムが鳴っている ―― ここでもなんともアンバランスでザワザワとさせる不可思議な音だ。

冒頭に述べた“連れ人シリーズ”に話を戻すとしよう。
ダニエルの連れ人とは、今作では仕事場に連れ歩いている息子のH・Wだ。
先々、後を継がせようとしていたらしい。
H・Wは実は息子として育ててはいるが、油田掘削中に亡くなった仕事仲間が残した赤ん坊だった。
本作は、ダニエルと唯一親子の名前で繋がるH・W、そして山師と敵対するカルト宗教の教祖 ペテン師のイーライとのしがらみを描いている。

イーライ VS ダニエル
イーライと、騙し合い殴り合い、罵り合いを続ける ―― 時に子供の喧嘩かとクスっとさせる様相を呈している。
お互い自分が思い通りにいかない時にフラストレーションをぶつける相手にも見える。
一方、仮の親子だったH・Wを自ら突き放す冷徹な仕打ち。
ダニエルを徹底的な「悪」と見なすか否かは、見る人次第だろう。
この作品では、背景にある肝心な部分をはっきりと描いてはいない ―― 彼がなぜ結婚していないか、幼少期をどう過ごしてこのような冷血漢となったのか。
それにしても、私個人としてはたとえ血は繋がっていなくても、心の底ではダニエルにとってH・Wは本当の息子同然だったと思いたいのだ。


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以下、ネタバレに近い内容になります!ご注意してください!!

やがて迎えるあのラストだ。
ここでダニエル・デイ=ルイスの演技は、最高潮に達する ―― 野次る、怒鳴る、罵る罵る!
プレインヴュー邸内ボーリング場(自宅にボーリング場があるのもすごい...2レーンだが)が舞台の大団円。
イーライの周りを歩き回る姿は、アヒルのようで滑稽だ。
「お前は、ポールの副産物でしかない。母親の後産の汚物だ!」
とまで口汚く言い放つ。
悔し涙を流すイーライ ―― そう、ダニエルと戦うことは彼に土地の情報を売った双子の兄ポールと戦うことを意味する。
イーライは、ポールに負けたのだ。
喜劇のようなシークエンスの果ては、地面から湧き出るオイルのようなどす黒い血が流れる。

ダニエル・デイ=ルイスの演技もさることながら、脇を固めるポール/イーライ・サンデー二役を演じきったポール・ダノ、H・W役のディロン・フリーシャーの演技も見ものである。

終始続く不穏な空気にビクビクさせられ、H・Wの運命にウルウルし、ダニエルとイーライとの戦いに笑いそうになるものの笑えない ―― そんな、かつてないタイプの映画だ。
原作ではダニエル・プレインビューは、ここまで悪人なのか。
原作『石油!』は、未読なので詳細はわからない。
しかしながら、盲目的な信仰(本作ではイーライが率いるカルト宗教)を否むためのニヒリズム的な立場から、監督(ポール・トーマス・アンダーソン)なりに表現した人格がダニエル・プレインビューなのかもしれない。

ラブストーリーズ コナーの涙/エリナーの愛情 ― 男と女は根本的に別な生物である

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Huluで「ラブストーリーズ コナーの涙」鑑賞している途中で、急に思い出す...DVDを購入して未見のまましまってあったことを ――
「コナーの涙」「エリナーの愛情」そしてこの2本を編集して、1本にした作品をDVDで視聴。
計3本を一気見しました。

ラブストーリーズ コナーの涙/エリナーの愛情(原題: THE DISAPPEARANCE OF ELEANOR RIGBY: HER/HIM/THEM)

監督: ネッド・ベンソン / 製作年:2013年

ストーリー
最愛の子どもの死をきっかけに互いの心がすれ違い、やがて別れを決断したカップルが、再生へと向かう紆余曲折の道のりを、男女それぞれの視点から捉えた2つの作品で描き出した異色作。本作はその男編。主演は「つぐない」のジェームズ・マカヴォイと「ゼロ・ダーク・サーティ」のジェシカ・チャステイン。監督は、これが長編デビューのネッド・ベンソン。
 ニューヨーク。ある日、アパートから妻エリナーの姿がなくなっていた。小さなレストランを経営する夫のコナーは、幼い我が子を失った悲しみを2人で乗り越えようと腐心してきた。しかし、エリナーの気持ちを量りかねる日々に苦悩は深まるばかりだった。やがて彼女が大学に通い出したことを知り、ようやく再会を果たしたコナーだったが…。
allcinemaより)

キャスト
    ジェームズ・マカヴォイ/    コナー・ラドロー
    ジェシカ・チャステイン/    エリナー・リグビー
    キアラン・ハインズ/    スペンサー・ラドロー
    ビル・ヘイダー/    スチュアート
    ニナ・アリアンダ/    アレクシス
    ヴィオラ・デイヴィス/    フリードマン教授   
    ウィリアム・ハート/    ジュリアン・リグビー   
    ジェス・ワイクスラー/    ケイティ・リグビー   
    イザベル・ユペール/    メアリー・リグビー
       
スタッフ・作品情報
監督:    ネッド・ベンソン   
製作:    カサンドラ・クルクンディス   
    ネッド・ベンソン   
    ジェシカ・チャステイン   
    トッド・J・ラバロウスキ   
    エマニュエル・マイケル   
製作総指揮:    カーク・ダミコ   
    ブラッド・クーリッジ   
    メリッサ・クーリッジ   
    キム・ウォートリップ   
    ジム・ケイシー   
    ピーター・パストレッリ   
脚本:    ネッド・ベンソン   
撮影:    クリストファー・ブロヴェルト
編集:    クリスティーナ・ボーデン   
音楽:    サン・ラックス
公開     2014年10月10日(アメリカ)
           2015年2月14日(日本)
原題: The Disappearance of Eleanor Rigby: HER/HIM/THEM

幸せだった、あの頃...(OMDの「So in Love」が流れるシーン)

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男女が出会い、結ばれ、不幸にも子供を亡くし、それをきっかけに二人の関係は歪(ひず)んでいく。
一連の出来事を男性側から描いた「コナーの涙」は、2人に何が起きたのかを時系列で追っている。
一方向から見ているので、エリナーの心の動きはわからない。
彼女は、ちょっと心を病んでいて衝動的で身勝手な女としか見れない。
コナー(ジェームズ・マカヴォイ)という男は頭が硬い、典型的な男性思考で動いていて、それにエリナー(ジェシカ・チャステイン)が辟易したのだろう。
エリナーが家を出ても、ストーカーのようにつけ回すコナー。
エリナー目線で同じ物語を描く「エリナーの愛情」では、ストーカーしているのはある意味彼女なのだ。

幸せだった2人

コナーは、息子を心配する父親(キアラン・ハインズ)に手厳しい...母親を捨てたから。
この父親が、息子を慰めるためにステキなセリフを言うのだ。
子供の死を受け入れられない息子に対して

“ 流れ星は一瞬のことだ ―― それを見られただけでも素晴らしい ”

“ 人は誰でもそれぞれ悩みを抱えて生きている ”

コナーの父親もそうだし「エリナーの愛情」では、エリナーの家族の問題もさりげなく描かれる。
彼女が「夫婦が長く続く秘訣は?」ときくと彼女の父親(ウィリアム・ハート)が答える

“ 男女が長続きする秘訣は、忍耐 ―― 別れを切り出さないことだ ”

2本を通して見て、どうしても思い出すのが「ブルー・バレンタイン」だ。
楽しかった時間を経て、現在のやるせない状況の描き方。
うかれてレストランで無銭飲食をして、その帰り芝生の上で抱き合いながら目にした暗闇に浮かぶ蛍の灯。
コナーとエリナーにとって過去の楽しかった時間、幸せの象徴として何度かこのシーンが出てくる。

物悲しい街明かりのシーン

対比されるシーンが、今現在の2人がそれぞれ孤独で夜の街の明かりの中に立つ姿 ――
美しいシーンなのに、なんとも物悲しい空気に溢れている。

先にも触れたが、本作は「男女の思考・言動の違い」が浮き彫りになっている。
コナーは典型的な“男性思考”で、生真面目・頑固すぎてその場の雰囲気で行動することができない。
他者が聴いている音楽を勝手に止めてしまったりする。
亡くなった我が子のおもちゃやベビーベッド一式を、クローゼットにしまったことにエリナーは傷ついた。
コナーにして見れば、新しい一歩を踏み出すためにとった行動だろう ――
男らしさというのは、無神経と隣り合わせとも言える。

さて、問題なのはエリナーだ。
確かに感情で行動する典型的な“女性資質”と言える。
30歳くらいだと思うが、完全に大人になり切れていない部分がある気がする。
映画を見終えても、結局彼女は何がしたいのか見えてこない。
エリナーの母親(イザベル・ユペール)は、アルコール依存性らしく、昼間からワインを飲んでいる。
子供の死から立ち直れないエリナーの前で
「私は、母親になりたくなかった」
などと吐露する。
そんな母親の影響からか、自我の確立がしっかりできていないのではないかと思えるふしがあるのだ ―― 深読みしすぎかもしれないが...
彼女が復学した大学の教授(ヴィオラ・デイヴィス)とのふれあいはやりとりが気が利いていてなかなかよい。

「エリナーの愛情」のラストが秀逸だ。
2人が、新しい道を歩き始めていることをほのめかすラストのシークエンス。
ただただ、ジーンとして切なさに包まれる ―― その空気感に浄化される心地がするのは、Son Luxの音楽のせいだろうか。
音楽といえば、特にこの2曲!
Son Luxの「No Fate Awaits Me」
懐かしい80年代のヒット曲、OMDの「So in Love」(絶妙なシーンで流れる!)

はっきり言ってしまうが、「コナーの涙」「エリナーの愛情」だけ見れば事足りるので、3本目(英語のタイトルは「THEM」)は見る必要はないだろう。


ミスト ― ラストの後味の悪さはピカイチ

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「ミスト」初めて見ました。
たまたま、つけたFOXムービーで偶然に一場面みて面白そう…ってことで。
あれ、スティーヴン・キング原作かぁって感じで見始めて、あっという間に信じられない展開になっていきました。

ミスト(原題: The Mist)

監督: フランク・ダラボン / 製作年:2007年

ストーリー
田舎町を激しい嵐が通り過ぎた。
その翌日デヴィッド(トーマス・ジェーン)と妻ステファニー(ケリー・コリンズ・リンツ)は湖の向こうに見える異様な霧を眺めながら不気味さを感じる。
デヴィッドは息子ビリー(ネイサン・ギャンブル)と2人でスーパーマーケットへ買い出しに出掛ける。
さっき見た濃い霧はほどなく客でごった返すマーケットにまでやってきて、やがて町全体を覆っていた。
霧を目の前に人々がマーケットに缶詰状態になっている最中、デヴィッドは霧の中に不気味な触手生物を発見する。
彼の話を聞いた人たちは店の中からバリケードを作ったり武器になる物をかき集める。
一方、スーパーマーケットに来ていた骨董品店の女主人カーモディは狂信めいた言葉で周囲の不安を煽りたてるのだった。
その夜、とうとう霧の中の生物たちが襲撃し、店内は大混乱になる...

キャスト
トーマス・ジェーン/   デヴィッド・ドレイトン
マーシャ・ゲイ・ハーデン/   ミセス・カーモディ
ローリー・ホールデン/   アマンダ・ダンフリー
アンドレ・ブラウアー/   ブレント・ノートン
トビー・ジョーンズ/   オリー・ウィークス
ウィリアム・サドラー/   ジム・グロンディン
ジェフリー・デマン/   ダン・ミラー
フランシス・スターンハーゲン/   アイリーン・レプラー
アレクサ・ダヴァロス/   サリー
ネイサン・ギャンブル/   ビリー・ドレイトン
クリス・オーウェン/   ノーム       

スタッフ・作品情報
監督:    フランク・ダラボン   
製作:    フランク・ダラボン    リズ・グロッツァー   
製作総指揮:    リチャード・サパースタイン    ボブ・ワインスタイン   
ハーヴェイ・ワインスタイン   
共同製作:    デニース・ハス   
原作:    スティーヴン・キング   
『霧』(扶桑社刊『スケルトン・クルー1 骸骨乗組員』)
脚本:    フランク・ダラボン   
撮影:    ロン・シュミット
編集:    ハンター・M・ヴィア   
音楽:    マーク・アイシャム
公開:    2007年11月21日(アメリカ)
             2008年5月10日(日本)
原題:The Mist

スーパーマーケットに缶詰状態の人々が次々に消えていく

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大勢が一つの建物に軟禁状態のシチュエーションを始め、信じられない生物がやって来てパニック状態 ――
小学校のときに夢中になって読んだ楳図かずおの「漂流教室」を思い出した。

霧の正体は?
そして不気味な生物の正体 ―― 霧との繋がりは??

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人が次々に死んでいく常軌を逸した事態に、閉塞状態の人々は冷静でいられるはずはない。
人はこの異常事態にどう向き合うのか?
途中まで見て
あぁ…
この映画は一見ホラー映画に見えて、そうじゃないんだ。
ということに気づくだろう。
限界まで追い詰められたとき、宗教にしがみつく人がいれば、人間の弱みに付け込みそれを利用して不安を煽り立てる人もいる。
ミセス・カーモディ(マーシャ・ゲイ・ハーデン)は、聖書を引用して一連の出来事は神のなせる業であるなどと不安に陥れる。
デヴィッドのように宗教を頼ることはせずに、自分の信念に従って行動をする人もいる。
誰が正しいとは、映画では示すことはない。
あえて、見る人を突き放した絶望的なラストで締めくくる ――

カーモディが打たれるシーンに思わずホッとしてしまう...

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デヴィッドだけが呆然と佇む目の前を、不幸を逃がれた人々を乗せたトラックと軍の装甲車が通り過ぎる。
暗転したのちも音だけが静かに流れ続けるエンドロールの余韻は、「アメリカン・スナイパー」を凌ぐものだ。
これほどの絶望はないだろう。

ハッピーエンドに纏まると、安っぽい 。
しかし、この終わり方はなかろう ――
ツリー・オブ・ライフ」の中のヨブ記のように
“ 災いは善なるものにも訪れる ”
なのだろうか。


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ちなみにマーシャ・ゲイ・ハーデンは、同年公開された「イントゥ・ザ・ワイルド」で主人公の母親役で名演を見せている。
このギャップに少なからず驚いてしまう。

久しぶりに「漂流教室」 も読み直したくなりました🙂

「イントゥ・ザ・ワイルド」でのマーシャ・ゲイ・ハーデン




          

愛を読むひと ― “文盲”であるための恥

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ずっと見たかった映画です。
ケイト・ウィンスレットが驚くほど痩せています。
最初は、ニコール・キッドマンがハンナ役で撮影に入るも妊娠が発覚し、降板しました。
第81回アカデミー賞で、ケイト・ウィンスレットが見事主演女優賞を受賞しています。

愛を読むひと(原題: The Reader)

監督: スティーヴン・ダルドリー / 製作年:2008年


ハンナ:「エッチは本を読んだあとで...ね!」

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ストーリー
1958年のドイツ。15歳のマイケルは偶然出会った年上のミステリアスな女性ハンナに心奪われ、うぶな少年は彼女と彼女の肉体の虜となっていく。やがて度重なる情事のなかで、いつしかベッドの上でマイケルが本を朗読することがふたりの日課となる。ところが、ある日突然ハンナは姿を消してしまう。8年後、法学生となったマイケルは、ハンナと思いがけない形で再会を果たす。たまたま傍聴したナチスの戦犯を裁く法廷で被告席に座る彼女を見てしまったのだ。裁判を見守るマイケルは、彼女が自分が不利になるのを承知で、ある“秘密”だけは隠し続けようとしていることに気づく。その秘密を知るただ一人の者として、マイケルは葛藤し、答えを見い出せないまま苦悩を深めていくのだが…。
allcinemaより)

キャスト
    ケイト・ウィンスレット / ハンナ・シュミッツ
    レイフ・ファインズ / マイケル・バーグ
    デヴィッド・クロス / 青年時代のマイケル・バーグ
    レナ・オリン / ローズ・メイザー、イラナ・メイザー
    アレクサンドラ・マリア・ララ / 若き日のイラナ・メイザー
    ブルーノ・ガンツ / ロール教授

スタッフ・作品情報
監督:    スティーヴン・ダルドリー   
製作:    アンソニー・ミンゲラ    シドニー・ポラック   
    ドナ・ジグリオッティ    レッドモンド・モリス   
製作総指揮:    ボブ・ワインスタイン    ハーヴェイ・ワインスタイン   
原作:    ベルンハルト・シュリンク    『朗読者』
脚本:    デヴィッド・ヘア   
撮影:    クリス・メンゲス    ロジャー・ディーキンス
音楽:    ニコ・ムーリー
原題:    THE READER

マイケル15歳、ハンナ30代前半。年の差カップル

初見だけでは、マイケル(デヴィッド・クロス)とハンナ(ケイト・ウィンスレット)の言動に理解しづらい部分があるだろう。

マイケル
裁判を見学しているうちに彼女が文盲であることに気付きながら、結局は彼女に有利に動くであろう証言をせずに逃げてしまった。

ハンナ
15歳のマイケルと関係を持ち、本を読ませ何をしたかったのか。
なぜ、“文盲”であることをひた隠しにしなければならなかったのか。

2度目の鑑賞にしてようやく気づく。
ハンナの何気ない行動で、その性格がよく見えてくるから分かってくることなのだ。
ハンナがマイケルを“朗読者”として選んだ理由は、彼の性格を見抜いたからだ。
マイケルは、帰宅途中の電車の中で気分が悪くなり急いで下車し、近場の路地に吐いてしまう。
気分の悪さ、情けなさと心細さで思わず泣きだしてしまう。
そんな彼をみて手を差し伸べたのがハンナだった ――
彼女は、もちろんマイケルを助けたい気持ちもあったが一方で彼が見せた弱さが自分の思いの儘になるという期待もあったのだ。

ハンナは生真面目な性格だった。
念入りに靴の汚れを落としてから家に入る
異常なほど靴もピカピカに磨く
ブラジャーまできちんとアイロンがけする

与えられた仕事を粛々とこなすのが、彼女の性格だ。
さりとて、何の罪もない小さな子供たちの中から1日10人をアウシュビッツに送り込む仕事をためらいなくやってきたことが許される訳はない。
しかし、“悪行”と認識していてもその状況下でそれに抗うことができたか?
1人の非力な、文盲にコンプレックスを持つ女にはどうすることもできるはずもない、国家も絡んだ不可抗力に目を瞑るしかないだろう。
彼女は裁判が進んでいく中筆跡鑑定を求められるも、それを拒否し罪を引き受け、牢獄に入ることになる。
その一連の流れとハンナと過ごした夏の日々の断片で、マイケルは彼女が文盲であることを知るのだ。



マイケルは、なぜそんなハンナを助けなかったのか ――
「文盲であることを明かされたくない」という彼女の気持ちが痛いほどわかったからだ。
また、その時の彼は大学で法律を学ぶ学生で、まだ大人になりきっていなかったこともあるだろう。
ハンナから、収容所の子供と同じこと(本の朗読)をさせられたことを許せない気持ちも少なからずあったのだろう、そう思った。
その後マイケルは、彼女を救えなかった無力さから心を閉ざしてしまう。
20年後、ハンナが刑期を終えて刑務所を出るとき、マイケルが彼女の面倒を見ることになる。
しかし彼の言葉で思い立ち、彼女はある決断をして彼と会うことはなくなってしまう。
20年という月日は、マイケルを成長させただけでなく、一方向からしか物事を捉えない人間に変えてしまったのだろう。

マイケルとハンナが過ごしたひと夏、泊りがけのサイクリング旅行は殊更美しく描かれている。
本から様々な喜怒哀楽を学び、“朗読者”として選んだマイケルに、若い娘のように恋をしてしまったハンナ ――
文盲であることをひた隠す彼女は、おそらく男性と愛し合ったことなどはないのかもしれない。
恋愛の駆け引きなども知らないハンナが、マイケルと同じくらいに初々しく輝いて見える。

親子と間違われて、わざとキスするマイケル
本作の原作本である 『朗読者』では、ハンナがルーマニアのロマ族出身であることが書かれているらしい。
ロマ族は、ユダヤ人よりも下層の人種で現在でも差別され続けているという。
よって、文盲であることを異常なまでに隠蔽し続けたハンナの懸命さがようやく理解できてくる。

余談ではあるが、ケイト・ウィンスレットが惜しげもなく全裸で挑んだ本作。
相当減量したのか、それとも後ろ姿だけ別人なのだろうか ――
かなりガリガリで驚いてしまった。



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